やっぱり、守・破・離だよな🤔
「どうせ離れるなら守も破も面倒、すっ飛ばせ」という考えもあるだろうが、俺はやらん。
何でかって言うと、
「守」=「基本・標準」が確定レベルでコントロールできるからこそ「都度の調整」が効かせられるようになる。その調整の範囲がそのまま適用範囲の広さ、深さ(=応用)に繋がる。
匠の技の「巧み感」の一つの大きな要因はこれだ。
それなのに、離れてるつもりで離れられてない、下手をすりゃ「守」にすら達してない、てな話になれば本末転倒だな、と思うのだ。
あのさ、端折って何を得したの?
こだわったのは上達ではなく、楽することだったんじゃない?
って話になっちゃう。
俺はそれは嫌なんだよな。
どんだけ亀の歩みでも、先に進みたいもの。
急がば回れである。
ブルース・リーの「私にとって1万種の蹴りを1回ずつ練習しただけの男は怖くない。しかし1種の蹴りを1万回練習した男は怖い」も同趣旨と考えてる。
(画像出典 Thanks to Sasin Tipchai@Pixabay)