なんであんなことしちゃったんだろう。

もしかしたら、あなたも。
自分の時間やエネルギーを「かなり損してしまっている」かもしれない。

何のことかって?

あーっ!やっちまった!
なんであんな事したんだ?

これって、失敗した時に、誰でも瞬間的に心に思うことだよね。

あなたも心当たりがあるなら、続きを読んでほしい。
でも、「そうは思わない」という人は読まないほうがいいかも。

おそらくは…

「知ってるよ。何を偉そうに」

とムカついてしまうだろうからね。

お、まだ読んでいるということは、心当たりがおあり?
じゃ、続きをどうぞ。

失敗が大きければ大きいほど、「なぜあんなことを」と思ってしまい、
ループにはまってしまったりすることが多いものだ。

ひとくちに失敗っていうけど、失敗にも色々あるよね。

曲の構成を忘れていた、とか。
ここ一番のキメのフレーズをしくじった、とか。

そういう「本番」の失敗もあれば、

断片的で無責任な情報に惑わされて、
無駄な練習時間を食ってしまった、とか。

最高!と思って購入した楽器が、スタジオで鳴らしたらイマイチで、
それっきり使わなくなった、とか。

そういう、練習や上達の過程での失敗ってのもある。

バンド活動をやってると、コミュニケーションの失敗はつきものだ。

こんな風に、色々な失敗がある。

で、その度に、「なんで、あんなことしたんだ?」と思ってしまう。

でね。

気がついてるかな。

これって、「問い」なんだよ。

誰に対する?

あなた自身に対する問いだよね。

で、この問いが、もしかしたらあなたのエネルギーや時間を浪費しているかもしれない…
という話なんだ。

ちょっと、考えてみてね。

そもそもさ。

こういう失敗って、はじめから、「明らかによくない結果が起こる」ことを
期待してやったの?

または、そうなると知っててやったの?

多くはそうではないんじゃないだろうか。

全部が全部でないとしても、「これは良くない」と知っててやったことって…
そんなに多くないんじゃないかな?

どっちかって言うとさ。

大部分は、良かれと思ってやったか…
あるいは、「単に、何も考えてなかった」というケースではないだろうか?

もし、「何も考えてなった」ということなら、「なぜあんなことを…」の答えはカンタンだよね。

「考えてなかったから」

つまり、「無配慮だったから」ということだ。
そして、これが答えなら改善するのはある意味簡単だ。

経験をつみ、様々な状況や人の心の動きをたくさん知りながら、
「配慮できるようにしよう」とつとめる。

そうすれば、その内自然にできるようになる。
その結果、同じ失敗をよりしにくくなるわけだ。

これって進歩だよね。

やっかいなのは、その先をさらに問うてしまうことだ。

「なぜこんなに無配慮だったのだろう」

ってね。

これがなんでやっかいなのかって?
読んでいけばわかってもらえると思うよ。

そもそもさ。

「無配慮」と一口に言っても、原因はその時のあなた自身の体調や精神的コンディション、
その場に居合わせた人との対人関係など、様々な状況・要因がある。

だから、一概に答えが出るものではないよね。

それに、俺が思うに、やってしまったことを「なぜ」と問うてしまうのは
とてもよくあることだし、悪いことではない。
それによって「改善するべきこと」が見つかるのなら、素晴らしいことだよね。

でもね。

「改善するべきこと」ではなく、へたに「理由」が見つかってしまった時はどうだろう。
そう、「無配慮でよかった理由」が見つかってしまった時。

これってかえって、もっと損をすると思うんだよね。

どうしてかって?

説明するね。

なんであれ、理由と言うのはその人にとって「正当なもの」でしょ?

え?よくわからない?

あなたも、生きていれば色々失敗したことあるよね?

で、「なんであんたことしたんだろう?」って考えていたとする。

で、ある時何かがひらめいたり、誰かの助言を聞いたりして…

「そうか、だからなのか!」と頭の中で何かがつながった時があると思うんだ。

その時、自分が見つけた理由をを「すごく正当なもの」として感じたんじゃないかな?
それが、第三者とか「現在の自分」から見ると、すごい「こじつけ」であったとしても。

そういう意味。

そして、その理由が見つかると、人は何故か「安心」してしまう。

しかし、この「安心」と引き換えに…
「正当だ」と感じる理由が見つかってしまったがゆえに…

「変わろう。改善して行こう」というモチベーションは当然のごとく下がる。

そして、…これまた当然だけど。

…いずれまた同じ結果を招く。

つまり、同じような失敗をしてしまう、ということだ。

あたりまえだよね。

行動が変わってないんだから。

結果を変えたければ、行動を変えるしかない。

それなのに、その行動を「変える理由」ではなく、
「変えなくていい理由」を見つけてしまったのだから。

わかるかな?

これが、「何よりも先に理由を問うこと」のデメリットだ、と感じてるわけ。
その失敗をきっかけに、「より進歩する」ことができたかもしれない。
でも、その機会を自らつぶす可能性がある…

これを「損じゃない?」と言ってるわけ。

もちろん、これはあなたが「上達したい。進歩したい」と常に願う人だ、
という前提で話してるんだけど。

で、じゃあ。

どうすればいいのかって?

俺がよりいいと思う、とてつもなく簡単な方法がある。

それは、「問い方」を変えることだ。

「なぜ」ではなく「どうやって」を問うことだ。
Why”ではなく“How”を問うのだ。

もう少し理屈っぽく言うと、「なぜああやってしまったのか」ではなく、
「あの時どうすればよかったのか?」と問うことだ。

「なぜ」という回りくどい問いではなく
「じゃあ、次は、今度はどうすればいい?」

これを考えるのだ。

単純明快でストレートだ。
だから、実行しやすい。

実行しやすいから、行動が変わりやすい。

そして…

行動が変わりやすいから、結果が出やすいのだ。

たったこれだけ。

自分への問いかけ方を変えるだけで、あなたの持っている良さが
はっきり表に出やすくなる。

だから、失敗してしまった時に、「なぜ?」と問うのではなく…

「どうすればよかったのか」「どうすればいいのか」と問うことに意欲的になってみてほしい。

しばらく続ければ、俺が何を言いたいのか判ると思うよ。

これは、俺の定義なんだけど…

「なぜ…」と問うて気に病んでしまうのを「後悔」という。

「どうすれば良かったのか」と問うて次の行動を改善することを「反省」という。

同じするなら…

答えの見つかりにくい後悔ではなく。
反省して行動を変え、「よりよい結果を味わおう」じゃないか。

俺が知る限り、上達する人は「後悔」をしない。

失敗した、と思うことでも必ずその中から何かを学び取ろうとする。
そして「反省」し、行動を改める。ないしは「拡張」して行く。

言い換えれば、上達とはその過程だとも言えるんだよ。

じゃ、また。健闘を祈る!

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