引き出しが少ない理由

ごぶさたでございます。

だいぶ間が空いてしまったので、少し濃い目のお話をお届けしようかと思います。

あらかじめお断りしておきますが、読んでいてムカつくかも知れません。
その場合は、決して無理して読み進めようとせず、ページを遠慮なく閉じて下さい。

話題は、私のドラム練習アドバイザー活動で少し前にあった話に基づいたものですが、
比較的多く聞かれる相談内容だったので、こちらでシェアしたいなと思ったのです。

相談内容や受け答えの一部を載せるにあたっては、
ご本人に、もちろん匿名の条件付で了解をもらいました。

さて本題。

相談された方の主なお悩みはこうでした。

「引き出しが少ないんです」

そもそも、引き出しが少ないとはどういうことでしょうか?

まず、どういう場面で使われるのか考えてみましょう。

わりと多いのが、「セッションでアドリブが利かない」という意味。
次に多いのが「オリジナル曲でパターンやフィルが思いつかない」という意味。

この2つの意味で使われるケースが筆者の経験上は圧倒的に多かったです。

で、これ。

結局は「どうやったらいいのかわからない」ということですよね。
言い換えれば、アイデアやイメージが浮かばないということ。

なぜでしょうか?

理由は、言ってしまえば簡単なことです。

ひとつは「練習不足」で す。
もうひとつは「感性」に乏しい。

まず、1番目の理由、「練習不足」ということについて。

はあ?
練習不足と引き出しの多さが関係あるのか?

…と思った方も多いのではないでしょうか。

意外に思うかもしれませんが、関係あります。
大ありなんです。

たとえを出しましょう。

では、質問です。

知らない言語でいきなりしゃべれますか?
それも、満足のいくコミュニケーションが出来ますか?

おそらく、99%の答えはNOだと思います。

それから、知らない単語や言い回しを、
「適切に、効果的に」会話の文脈で使いこなせますか?

これもおそらく非常に難しいですよね。

ここにヒントがあります。

そうです。

知らないことは基本的にはしゃべれないのです。

だから、しゃべろうと思ったらまず理解する必要があります。

でも、理解しただけでは足りません。
実際に「使って」みなければいけないのです。

そんなの、当たり前だよ。

…と思いましたか?

はい、おっしゃる通りです。

こんなの当たり前の話なんです。

でも、楽器の話になるととたんに難しく考えてしまう方が
とても多く見られます。

で、「使う」にも2段階あるんです。

ふたたび、「言語・言葉」の例で説明してみましょう。

第一段階。一人で口に出してその言い方や単語に慣れる。

次に、第二段階。実際の会話で用いる。

この2段階ですね。

ドラムの練習だったら、第一段階は個人練習。
要は、動かし方に慣れる、ということです。

第二段階はバンドリハやセッションなどの実践です。
そして、この繰り返しによって「ポイント」や「効果(結果)」がわかるようになります。

え?

なら、面倒な第一段階をすっ飛ばして
いきなり実践ばっかりでもいいじゃないかって?

別に構いませんよ。

ただ、こういうことがあるってご存知でしょうか。

個人練習をマジにやらなければ、
その内動かしやすい動かし方ばかりになって行く

はい、俗に言う「手癖」です。

これは性格とか人間性とかよりももっと深くにある、
人間の「生物」としてのメカニズムに起因する特性です。

なので、手癖ばかりにならないように意図して努めないと、
どんな人でも例外なくそうなります。

ま、そうは言ってもその手癖の数がある程度の数を超えると、
「味」という名で許容されることが往々にしてあります。

ここが音楽の曖昧さのひとつでもあり、
懐の深い部分でもあったりするのですが。

それでも、筆者は第一段階をキッチリやることをお勧めします。
その理由をお話しましょう。

バンドサウンドは各パートが出す音の「相互作用」ですね。

相互作用を意図したものに近づけたければ、
自分の役割や、周囲に対する反応がしっかり感じ取れないといけません。

しかし、自分が動くことに必死になっている人が、
周りを十分に感じ取ることが出来ますか?

はい、その通り。
無理ですよ。

どれほど手が速く動こうが、周りを聴き取り、使う場面や表情を
「適切に」選ばなければ、その演奏は「適切」にはなりません。

適切に使えなければ「知らない」「できない」のと変わりはありません。
厳しい言い方ですが、これは現実です。

木造家屋を作る現場に高層ビル用の部品を持っていく人を
あなたは「有能だ」とは思わないでしょう。

ほかのメンバーや、聴きにきてくれるお客様は「それが適切である」ことを
(意識はしませんが)期待しています。

適切な演奏が出来る人が「上手い」と言われるのです。

そして「適切な判断や反応ができない」のを「感性が乏しい」と言うわけです。

はい。2番目の理由ですね。

感性が乏しいってどういうことでしょう?

実は今日の話のメインテーマはここなんです。

ここでもまた「言葉」を例に出してみましょうか。

感性が豊かな人は、えてして表現力が豊かである場合が多いです。

そして、そういう人たちはたいがいの場合、とても「語彙」が豊かで、
自分が知っているたくさんの言葉の中から適切なものを選んで使います。

ここにヒントがあります。

コンピュータがどれほど高性能でも、
どれほど優れたソフトが入っていても、
データが入力されなければ何も出してはくれませんよね。

人間だっておんなじなんです。

つまり、インプットされていないものはアウトプットのしようがないのです。

上の例で出した「表現力豊かな人」は、
それだけの「語彙」や「それが使われる文脈」をインプットしているのです。

インプットなしにアウトプットできているように感じることがあるのは、
単にインプットされた事実を忘れているか、
気がつかないうちにインプットが行われていたかのどちらかです。

さて、われわれドラマーが自分のプレイを行うために必要な
インプットとは何でしょうか?

大きく分けて2つあります。

ひとつは、練習です。

なぜ練習がインプットかって?立派なインプットですよ。

体の動かし方をインプットしているのです。
でも、これはすでにお話しましたね。

もうひとつは?

音楽を聴き、感じることです。

上の例で、「たくさんの本や文章を読んだ」人のように、
多くの楽曲に触れ、感じるのです。

まず、ここが足りてないとその先には進みようがありません。

有名プレイヤーのインタビューなどで、
若い世代へのアドバイスを求められた時の答えとしてとても多いのが、

「数多くの名演に触れなさい」
「レコード聴きまくれ」

という内容のものです。
こうした答えが多い理由もここにあります。

でも、ここで疑問が起きませんか?

とにかく数さえこなせばいいのでしょうか?
たくさん聞きさえすればいいのでしょうか?

なんとなくでも、「そうじゃない気がする」と感じたあなた。

鋭い。

そうなんです。

ただやみくもに数をこなしただけでは足りません。

ではどうすればいいのでしょうか?

はい。

上に戻って私の文章を読み直してみて下さい。
私が非常に気をつけて使い分けている言葉があります。

それは、「聴く」と「聞く」。

いいですか?

「たくさん聞く」のではありません。

「たくさん聴く」のです。

英語で言えば、hearではなく、listenするのです。

もっと言えば、心を使うんです。

なぜ心を使うのでしょうか?

その理由をお話しましょう。

セッションでアドリブを利かせる、
オリジナル楽曲でふさわしいパターンやフィルを演じる。

これは、小難しく言ってしまえば、
「アウトプットを自分の意図に合うようにしたい」ということです。

アウトプットを意図したものにしようと思ったら、
その元になるインプットにおいても「意図」して行う必要がありますよね?

そして、「意図」に応じて心の用い方が変わります。
より具体的には、意図することによって、
人の耳は少なくとも3種類の働きをするようになります。

3種類の耳?
何言ってんだ?

…と思われたかもしれませんが、まあ聞いてください。

3種類の耳とはこういうことです。

ひとつはリスナーの耳。

もうひとつはプレイヤーの耳。

最後はバンマスの耳です。

それぞれ説明しましょう。

リスナーの耳とは、演奏しない人の耳ということです。
音楽を「聴くだけ」の人の耳ということ。

楽曲にはさまざまな要素がありますね。

旋律、テンポ、リズム、強弱、和音、進行、フレーズなど…

こうしたものから聴く人は心を動かされます。
何かを感じます。

ここに主眼を置いて音楽を感じる時、
あなたはリスナーの耳で音楽を聴いています。

料理の世界で言えば、「お客さんの舌」ですね。

言い換えれば、「それを味わうことで何を感じたのか」に着目するという姿勢です。

これは、特に努力しなくても、音楽に触れている人なら
無意識にやっていることなはずです。

でも、自分の演奏を意図したものに近づけたければ、
これだけでは足りません。

そこで必要になるのが第二、第三の耳なんです。

そう、プレイヤーの耳、バンマスの耳です。

まず、プレイヤーの耳。

音楽を聴いていて、

気持ちが盛り上がったり、
ふっ、と落ち着いたり、
もの悲しさがぐーっとこみ上げてきたり、

そういう感情が動く場面がありますよね。

そこで各パートがどんなフレーズをどのように弾いているのか

ここに着目する耳がプレイヤーの耳です。

楽器を始めてしばらくたち、耳コピを始めるようになると
このスタンスで聴くことが多くなるかもしれません。

はい。

この2つまでは、実は普通に語られることがよくあります。

でも、これだけでは足りないのです。

なぜか?

プレイヤーの耳と言うのは、いわば

メインディッシュをどう味付けしているか、

に着目している耳なのです。

料理なら一品モノというのがありますが、
音楽は色んなパートや進行で構成されています。

なぜそうなっているのでしょうか?

これは、昔からそうなっているというだけの理由ではありません。
必要だからそうなっているのです。

たとえば、サビだけの曲があったらどうでしょうか?

そもそも、そんなの聞いたことないですよね?

それに、サビだけ延々と繰り返されていたらしつこそうです。

第一、サビだけだったら「そこがサビだ」ってどうやってわかるのでしょうか?

そうです。

一番伝えたい部分をはっきりさせ、よりしっかり伝わるようにするために、
一番伝えたい部分「以外の」部分が必要なんです。

そして、伝えたい部分とそうでない部分のつながりやバランスが、
しつこくないか、不自然ではないか、盛り上げ方が過度ではないか、
などの点に着目する耳がどうしても必要です。

これがバンマスの耳です。

プロデューサーの耳、あるいはアレンジャーの耳といってもいいかもしれません。

あなたが自分の引き出しを増やしたいとの思いで
多くの楽曲に触れようとしているなら。

この3つの耳を持って欲しいのです。

それにはすでに書いたようにあなたの心の中で
明確に「意図を切り替える」必要があります。

漫然といつものように聴いていてはだめです。
学べるものが、得られるものが、右から左へ流れてしまいます。

これをやると、はじめは確かに疲れます。
いえ、疲れなければウソです。

この過程において、あなたはとんでもないほど頭を使ってるのですから。
疲れないわけがありません。

疲れないのだとしたら、「漫然とやってしまっている」可能性を
疑ってください。

今大活躍している名プレイヤー達も、昔を振り返っては
口を揃えてこう語ります。

「レコードがぼろぼろに擦り切れるまで聴いた」

と。

彼らは3種類の耳を使い分け、納得行くまでその音源に取り組んだのです。
その結果、実際に擦り切れることもあったかも知れません。
レコードの耐用寿命を上回るほどの彼らの情熱を見習って下さい。

星の数ほどのお手本がすでに世の中にあるのです。

それを肥やしに出来るのかどうか。

それは、あなたの音楽への情熱と、
この「明確な意図」を持てるかどうかにかかっています。

いいですか?

「3つの耳」をよーく腹に収めて自分のスキルにして下さい。

リスナーの耳。プレイヤーの耳。バンマスの耳。

最後に言っておきますが、
一番いけないのは「知っただけで実践しない」態度です。

(こういうこと書くから…笑)

「引き出しが少ない理由」への2件のフィードバック

  1. 引き出しについては、永遠のテーマですね
    今も引き出しの乏しさに悩まされています

    どうしても手数を詰め込むのにに走りがちで
    『間』を忘れてしまいがちです

    なので、間を大事にするドラマーの演奏を積極的に観たり、聴いています。

    村上“ポンタ”秀一さんを間近で観れる機会が何度かありましたが

    最初は今ほど呼吸や間を意識できず、ただ単に上手いドラマーなんだなぁ…っていうなんとも失礼なアタマでしたが

    二回目から、独特の歌いかたが見えるようになってきて
    三回目から、ようやく呼吸や間を意識するようになってきました

    でもまだ自分の歌いかたにできてないので、必ず自分の引き出しにしようと思います

    こう思うと、名ドラマー、名ミュージシャンが
    擦りきれるほどレコードを聴きまくった理由が解りますね

    それを受け入れて、ものにできるまでって
    かなり時間がかかるし
    新しいものが入ってくれば
    古いものは自然と忘れてしまう
    だから繰り返し繰り返し、時間をかけるんだと思います。

  2. ども、雄輔さん!

    すごい重要なネタ元をありがとうございます。
    せっかくなので記事にさせていただきますね。

    「間」。
    「忘れる」。

    少なくともこの2つはまだこのブログで語っていないので、
    近いうち記事にします。

    今のそのスタンス、いいと思いますよ!

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