あんなのやらなくていい、ってさ。

今日のお話も、例によってムカつくこと必至です。
「俺は怒ったりしないよ」という人だけ読み進めて下さい。

ダウンストローク、アップストローク。
タップストローク、フルストローク。

多分、聞いた事ありますよね。

私もしこたま練習したし、今でも練習してます。
あなたもまじめに練習しているかもしれません。

ところでね。

最近、こうした練習を軽視する情報を発信しているのを
見かける機会が少々増えたと感じています。

いわく

あんなのやらなくていい、上手くなるものも上手くならない…
あれをやり出すとドラムがつまらなくなる…
音楽ではなくて運動だ…

ひいては、

あんなのやると型にはまってしまい面白くない

だそうです。

ま、別にいいんですよ。そういう主張をするのは。
全然かまいません。

使ってる奏法、やってるジャンルは言うに及ばず、

ドラムの叩き方、練習の仕方、もっと言えばスタンスや
取り組みの姿勢さえも、人それぞれで良いんだし。

ただ、それにしても。

「それをやって上手くなった人たち」とか、
スタイルの中にそれを当然のように取り込んでいる人たちとか、
それらを基盤としている先人たちとか、

そう人達やそのアウトプットを根こそぎ否定するって、
ある意味勇気がありますね(笑)。

とても感心します。

なぜ感心するかって?
俺には「真似できない」からです。

したくもないですが(笑)。

言論の自由は法が保障していますから、
何を言うのも勝手で自由です。

でもね。

あなたがこうした情報を受け取る時は、どうか注意してほしいのです。

私のサイトのaboutでも書いていますが、
情報はそのままでは本来の情報ではありません。

ただのデータです。

うのみにすると危険です。

なぜ危険なのか。
それは、あなたらしさが失われてしまうからなんです。

今日はそういうお話。

上で書いたようなことを主張する人はその必要性や上達の実例を
理解できなかったのかも知れません。

あるいは、多くの上手い人達の技術の根底にそれがあることを
見抜けなかっただけかもしれません。

あるいは、単にキライなだけかも(笑)。

こんなふうに、色んな人が色んなレベル、色んな立場から色んなことを言います。

現代は、インターネットの普及によってこうした情報にも
手軽にアクセスできるようになりました。

その結果、選択肢が膨大に増えましたね。

選択肢が増えるのは一見良いことであるように思いますが、
その反面、「選ぶのに苦労する」場合も増えます。

そして、悲しむべきは。

「選ぶのが面倒くさい」から「そのままうのみにしてしまう」という姿勢なんです。

違う立場の人が言っていることを無理に自分に適用しようとしても
理にかなわないことがあります。

そして、理にかなわない努力は大概の場合徒労に終わる。
(もちろん、意識や志の高い人はそこからも何かを得ることはできます)

たとえば。

耳に刺さるようなサウンドを多く求められるジャンルで活躍している人の
演奏方法に関する主張を、

「まったくそのままの形で」ソフトで柔らかい音を求められるジャンルの人に
適用するのは無理がありますよね?

そういう「意外な組み合わせ」が功を奏する場合はもちろんあります。
でも、それってそうしょっちゅうあることなんでしょうか?

それに、そういう「組み合わせ」をあえて試みる人は「意図的に」やっています。
「わかってやってる」ということです。

言い換えれば、「うのみ」にはしていないのです。

だから、誰かの主張や意見を聞く時は「うのみ」にせず、
発信者の立場や方向性、それと(あんまり使いたくない言葉だけど)
レベルを良く見て下さい。

そして、自分なりに納得できるものだけを取り込むようにしてほしいのです。

確かに入門間もない時期は、師匠の言うことを
素直に聴くべき時期というのがあります。

それでも、「自分なりに納得」はして下さい。

薬は、症状や状態を適切に判断すれば有効に働き、メリットをもたらします。
しかし、不適切な投薬はかえって別の病を招いたり、症状を悪化させます。

情報も同じです。

「多ければいい」とばかりに、何でもかんでも「取り込んで」
しまうと必ず混乱します。

その結果、「あなたなりの一貫性」が失われてしまうのです。

そして、判断や選択に意味のない制約をつくり出して行く。
知らない間に自分の可能性を狭めてしまうことがあるのです。

たとえば、あなたがラジオを聴く人で、ある時A局を聴きたかった、としましょう。

ところが、混信してA局、B局、C局が同時に受信できて
しまったとしたら、あなたはどうしますか?

うっとうしいことこの上ないでしょう。
楽しみにしていた番組も聴けない。

これはあなたにとって得なことですか?
そもそも、そんな状態が楽しいでしょうか?

おそらく、ほとんどの人は「違う」と答えると思います。
私もそうです。

「選ぶのが面倒」という理由で、雑多な情報を鵜呑みにするなら。
このラジオと同じことになるんです。

さらに言えば。

選ぶのは迷います。苦労します。
さんざん苦労して選んだとしても、その結果が思わしくない場合もありえます。

でも、それでも。
自分で選んでほしいんです。

言ってしまえば、「その結果」が重要なのではないのです。

選ぶのに迷って、苦労して、自分の頭で考え、筋道をつけようとした。

その過程がもっとも重要なのです。
それはあなたにしか通れない道です。
その過程で、あなたらしい「選ぶ眼」が養われて行くのです。

そして…

それこそが、「あなたらしさ」の源なんです。

そこを大事にしてほしい。

そして、選択を放棄してすべてを「うのみ」にしてしまったら、
恐ろしいことに…

それは癖になります。

なぜ癖になるか?

それは、「ラク」だからです。

「ラク」という動機はきわめて強力です。
意識的に制御しないと、簡単にとりこになってしまいます。

そして「選ぶ」という、
思考する生き物のみに許された権利と能力を放棄するなら、
得られるものも…

「それを持たざるもの」と同じになってしまうのです。

その結果、どうなるのかって?

「あなたなりの一貫性」を失って、
あなたの頭は単なるデータの蓄積庫になる可能性があります。

言い換えれば、「頭の中がノイズで満たされて行く」かもしれない、ということです。

だから、面倒がらずにしっかり選んで下さい。

そして、その結果が望ましいものであっても、なくても、
それを自分で受け取り、新たな糧として下さい。

え?

ダウンストローク、アップストローク。フルストローク、タップストローク。

やった方がいいのかって?

やった方がいいです。
決まってます。

え?

あれをやるとつまらなくなるのではないかって?

えっとですね…

私から言わせれば。

あの程度の基礎練習でつまらなくなってしまうなら、
「その程度しかドラムを好きではない」のです。

残念ですが。

現に私に相談される方の多くが、

「確かに難しい部分もあるけど、わかってみるとなんてことはない。何より楽しい」
「スティックコントロール自体がこんなに奥深く、楽しいものだとは思わなかった」
「頭に浮かんだフレーズが、思ったとおりの表情で叩けるようになった」
「よりラクに、色んな表情をつけられるようになった」
「叩いていて気持ちいいと感じられるようになった」
「エンジニアから、『他のドラマーと音が違う』と言われた」

・・・・・・

と言って下さいます。

私にとっては、こうした声こそが事実であり、喜びです。
絶対に無視なんかできませんよ。

でもね。

うのみにしてはだめです。
あなたが納得して、「よし、自分もやってみよう」と思ったらやって下さい。

「あんなのやらなくていい、ってさ。」への6件のフィードバック

  1. Stvjrさんの話はドキっとしてしまうくらい芯をついてらっしゃいますよねぇ・・。

    あたくしの遠い知人にもいます。

    そういうドラマー。

    ジャズ研の学生だったのですが、頭でっかちになりすぎて、「ルーディメントは自分の感性を表現するのには必要ない。」

    ダブルストロークすらまともに練習したことがないのだそうで・・・。

    バークリー卒のジャズドラマーが率いるクインテットを聞きに行った後の感想が「16分音符をあまり使っていない。センスがない」

    その青年はそのドラマーに師事したことがあるにもかかわらずそういう発言を・・・・。

    そのジャズドラマーさんの話では、習いに来ても言うことを聞かないし、うんちくを並べ始めるので匙を投げてしまったのだそうで・・・。

    青年の演奏を聞く限りでは・・・言わずもがなですね。

    先人が切り開いてきた伝統的な技は、長い年月をかけて熟成され、贅肉をそぎ落とされた完成系と言える珠玉のテクニックばかり。

    知識を得る満足に比べ、体得して自分の血や肉になった時の満足感は比べ物にならないものです。

    その満足感はオーディエンスの感動となるものですから。

    ・・・・といいつつ、あたくしも数種類しか使えてませんが、ある程度使いこなせるようにはなりました。

    沢山あるルーディメントのうちの6~7個でこれだけのことができるんだから!!!

    と、軽視する人に胸を張って言いたいです。

  2. > ジャズ研の学生だったのですが、頭でっかちになりすぎて、
    >「ルーディメントは自分の感性を表現するのには必要ない。」
    > ダブルストロークすらまともに練習したことがないのだそうで・・・。

    うーん。

    基礎練に向き合えない言い訳なんでしょうか・・・。

    もちろん、本心から「必要ない」と思ってるならそれもアリだし、
    そのアウトプットが「なるほど、こりゃやらない方がいいね」と
    感じさせるに足るものだったら喝采モノなんですけど。

    > バークリー卒のジャズドラマーが率いるクインテットを
    > 聞きに行った後の感想が
    >「16分音符をあまり使っていない。センスがない」
    > その青年はそのドラマーに師事したことがあるにもかかわらず
    > そういう発言を・・・・。

    (爆)(爆) すいません、笑ってしまいました(笑)。

    でも、ちょっと可哀想かも・・・。

    だって、批判ばかりしていて、
    人の良い所を見出し見習うという姿勢がない人は、
    どんな人に師事しても成長できなかったりしますからね・・・

    まして、単なる口真似だけだったとしたら・・・

    > そのジャズドラマーさんの話では、習いに来ても言うことを聞かないし、
    > うんちくを並べ始めるので匙を投げてしまったのだそうで・・・。
    > 青年の演奏を聞く限りでは・・・言わずもがなですね。

    ああ、痛・・・・

    > 先人が切り開いてきた伝統的な技は、長い年月をかけて熟成され、
    > 贅肉をそぎ落とされた完成系と言える珠玉のテクニックばかり。

    そうなんですよね・・・。

    それを、わかりたくない?のかな。
    結局は一番早道なのに・・・。

    うーん。

    「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」ということなんでしょうか。

    > 知識を得る満足に比べ、体得して自分の血や肉になった時の
    > 満足感は比べ物にならないものです。
    > その満足感はオーディエンスの感動となるものですから。

    ですです。

    比較になりませんね。
    天と地ほど違います。

    ごたくは少なくともやってから言え、ってことです。

    > ・・・・といいつつ、あたくしも数種類しか使えてませんが、
    > ある程度使いこなせるようにはなりました。

    それそれ!それが大事なんですよ。

    ことドラムセットにおいては、
    「ルーディメンツ自体ができる」というよりも。

    ポピュラー音楽の枠組みの中で、「音楽の一部として使う」という
    選択ができること。

    ようは、「使いこなせる」ってそういうことじゃないですか。

    「ここではパラディドル使って、ここはダウンストロークでアクセントつけて・・・」
    なんてことをいちいち本番で「意識して」やるわけがないですよね。

    そんなことは、個人練習でクリアしておくべきことですから。

    いや、むしろ本番で表現に没頭するためにこそ、
    個人練習で地味なことを徹底しておくわけです。

    言ってみれば、地味なことの繰り返しは、
    いずれ思う存分自分の感情やバンドのメッセージを伝えるための
    地ならしみたいなもんです。

    すでに表現の一部なんですよね。

    > 沢山あるルーディメントのうちの6~7個で
    > これだけのことができるんだから!!!
    > と、軽視する人に胸を張って言いたいです。

    そういうレベルで応用できるものが6~7個あるって
    スゴイっすよ。かなりイケテルと思います!

    ああ、やっぱりジャムりたいですね。ツインドラムで!

  3. 楽曲を熟す上で、基礎力は必須です。
    例えば「そこはループっぽく機械的にしたいよね」っていう要望に対して
    そういう機械的な練習をしてなかったら、応えられないですよね。
    逆もありえます「そこはガッツリグルーヴを出したいから、強弱差をはっきりつけてね」っていう要望に対して
    アップ、ダウン、タップ、フルストロークが出来てなかったら、答えられないですよね。

    ルーディメンツは自分を表現するための練習、楽曲を表現するための練習。
    基礎練習がなんの基礎練習なのかをわかってない人が多すぎます。
    ルーディメンツでやってることと、楽曲で自分が叩いていることのリンクする部分を意識できなきゃだめですよね。

    それはシングルストローク1つでもそう。
    ルーディメンツで四分のシングルストロークを練習していたのに、楽曲になるとそっちに頭がいっちゃって、ルーディメンツでできてたことができなくなってる。
    これを理由にルーディメンツなんてやらなくても同じじゃんみたいに思ってる人いるんじゃないかな。

    と、少し前の自分にも言い聞かせてやりたいですね(笑)

  4. おお、ユースケさん!
    書き込みありがとうございます!

    > 例えば「そこはループっぽく機械的にしたいよね」っていう要望に対して
    > そういう機械的な練習をしてなかったら、応えられないですよね。
    > 逆もありえます「そこはガッツリグルーヴを出したいから、
    > 強弱差をはっきりつけてね」っていう要望に対して
    > アップ、ダウン、タップ、フルストロークが出来てなかったら、
    > 答えられないですよね。

    わかりやすい例をどうもです~!
    そうなんですよ。

    > ルーディメンツは自分を表現するための練習、楽曲を表現するための練習。
    <中略>
    > ルーディメンツでやってることと、楽曲で自分が叩いていることの
    > リンクする部分を意識できなきゃだめですよね。

    御意ですね。

    ルーディメンツのためのルーディメンツ、
    基礎のための基礎だったら
    そりゃつまんないでしょ!ってことですよね。

    だいたいが、ルーディメンツをそのまま聴かせるわけでもないし、
    その完成度や「お手本への合致度合い」を競争してるんでもない。

    結局は、楽曲と言う場面で自分が場にふさわしい何かを
    より意図通りにしゃべれるようになるための、「下地」なわけです。

    その下地に何が必要か、を先人たちが貴重な経験を元に
    残してくれたものが大量にあるわけです。

    ま、あえて抑えてるんでこの辺にしておきますが(笑)。

    > 楽曲になるとそっちに頭がいっちゃって、ルーディメンツで
    > できてたことができなくなってる。
    > これを理由にルーディメンツなんてやらなくても同じじゃんみたいに
    > 思ってる人いるんじゃないかな。

    これ、重要ですね。

    意識しないとできないんだったら・・・

    どうやって表情つけるの?
    どうやって楽曲に合わせて行くの?

    だって、意識は楽曲とかメッセージに行っちゃってるんですよ?

    ってことなんです。

    つまり、「意識しないとできない」のは
    「できてる」って言わないんです。

    意識しないでも動かせるようになって、
    はじめて「表現」の入り口に立てる。

    そこからがホントの「音楽」なんですよね。

    私はそう信じてやみません。

    こういう基礎力は、実際のショービジネスの多くの場面でも、
    有効で求められることが多い。

    それを多くの人が感じているからこそ、
    バークリーなどでももっとも初期の段階で
    こうしたことを教えてるわけですよね。

    > と、少し前の自分にも言い聞かせてやりたいですね(笑)

    いやぁ~、それは進歩したら必ずそう思うもんですよ。
    昔に戻って、あん時の自分に説教してやりてぇ!ってね。

    俺もしょっちゅうですよ~。

  5. ドラマーyasuo

    こんにちは。
    これは僕も同感です!

    師匠が言うには、
    「ピカソはデッサンもうまいんだよ」と。。。

    もうその一言で、やる気まんまんになりました。

    やりたいこと、表現したいことをドラムという楽器でやるためには、
    まず思ったところに狙った音符を叩けないといけないので。

    まだ道のりは遠いです~~~。

  6. お師匠さんもうまいことをいいますね。
    でも、それでやる気満々になれるyasuoさんの洞察力にもとても感心します。

    師匠にこれまで教わってきたことをしっかり消化できていないと、
    なかなかそこまで展開・補完して理解できないものですから。

    とっても先が楽しみですね。
    応援しています。

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