所沢でドラム教室を「正式に」スタートします
突然なのですが、これまできわめて個人的にある意味こっそりやっていたドラム&カホンのレッスンですが、ちゃんと教室として公にやる運びとなりました。
場所は、埼玉県の所沢。
西武池袋線・西武新宿線の両方が乗り入れている「所沢」駅を中心に展開していくことになると思います。
なぜ所沢で?
現在の音楽的・私の事業的拠点が所沢だから、というのもありますが、
所沢というエリアは、音楽的に見ても、音楽を学ぶという部分で見ても、
生徒さんになる方にとってもメリットが多い
地理だから、というのがあります。
これは後で説明します。
いつもどおりではありますが(^^;)
今日の記事は要するに生徒募集するよっていうお話なんですけど、例によって、ムカつく話をします。
生徒募集するからって遠慮はしませんので、悪しからずご了承ください。
ドラム教室を始めるきっかけ?
さて、まずはなんでドラム教室というかレッスンを始めることになったかについてですが、経緯を話し出すとそれなりに長い。
なので詳しくは省略させていただきますが、ポイントだけ。
それは、「きっかけになったご要望」というのがあり、それが「的を射てるな」と思ったからです。
そのご要望とは、こういうことでした。
おもに私が所沢でやっているブルースセッションのお客様で来てくれる方や、
別の場所で知り合った方で、
ドラムを実際にやっておられる・またはドラムに興味がある方からのご意見の中に、
- スティックコントロールなどの技術的な話
- アンサンブルに参加していく上での感覚やどの場面でどの辺を聴くのか
- こういう場面でふさわしい音はどうやって選ぶのか作るのか
- こうした場面場面での感性と、技術がどのようにリンクするのか
などの個別の情報を、
「ひとりから教わりたい、なぜならその方が整理されているから」というご要望が複数見られた
ということなんです。
なぜひとりのインストラクターから教わるのがいいのか?
曰く、
階層の違う話を、それぞれ違う人から聞くと、「それぞれの関連性についてリンクしないままになってしまう」ことが多い。
だから、一人の人から聞いた方が、その「リンク」の部分まで含めて聴ける
おお、なるほど。
この方、よくわかっているなあ
と感心した次第ですが、実にその通りなんです。
要素要素の知識がリンクしないと、それら知識は文字通り「単なる知識」のレベルでとどまってしまう。
つまり、実用に生かせない。
つまり、「整理されていない」っていう状態。
こりゃもったいないよね、ってな話になったわけです。
ただ記憶されてるだけの情報は、実は情報ですらありません。
それはデータというんです。
データ。
データから何らかの行動指針を見出した時、初めて「情報」となって生きてきます。
つまり、ひとりから教わるというのは、「データ」を「情報」にしやすい、というメリットがあるわけなんです。
もっと平たく言うと、「学ぶ効率がいい」っていうことです。
別の言い方をすると、
そうなっていないものを
いくらかき集めてもゴミにしからならん
ということです。
俺はリンクのさせ方を分かっているぜ!
とか、
どうあっても自分で考えてみたい!邪魔するんじゃねえ!
という方ならいいのですが・・・
そうでないならお勧めしません。
いろんなことを個別に異なる先生から教わらない方が良いです。
特にはじめのうちは。
理由はもうお分かりですね?
教わったことがリンクしない、行動に生かしにくくなるからです。
まあ、要は上達が遅れる恐れがあるということです。
ドラムに限らず、なぜ「学ぶ」ことが有利なのか?
そもそも何で学ぶのか?
ひとつは、行動の質を変えるためです。
なぜ行動の質を変える必要があるのか?
今までのやり方や行動では結果にたどり着けなかったからです。
そのために、既存のやり方のまずい点を見つけそこを改める。
既存のやり方に足りない部分を補う。
既存のやり方の余計な部分をそぎ落とす。
なぜそんなことを?
ずばり、そうやって、上達のスピードを加速したいわけです。
真剣に楽しむ方であればあるほど、
「もっと多くの場面にふさわしい引き出しを」
「もっと多くの人を輝かせられる伴奏を」
「もっと自由な表現を」
「もっと存在感を出したい、代わりの利かない存在になりたい」
等と願うのは「当然中の当然」ですから。
入門者が誰かに教わることの大メリット
他者から学ぶ理由の2つ目。
それは、行動のサンプルが欲しいからです。
そして、始めたばかりでは精度どころではなく、とりあえずどう動いてみよう、というたたき台すらありません。
そこで、たたき台になる行動のサンプルが必要になるわけです。
で、そんな時どうするのか。
ひとつ、書きこ残されたもの(書籍やネット)をあさる
ふたつ、経験のある他者から話を聞く。
「書かれたもの」のデメリット
ここで、上達のスピードが速いのは二つ目です。
なぜなら、「書かれたもの」は、「それを書いた人」が分かっていることは省略される傾向が往々にしてある。
しかし、入門したばかりの人にとっては、その「省略されたもの」すら重要である場合が多い。
そうなると、「書かれていない重要かもしれない事項」については、
「何もわかっていない頭」で想像して、「仮に埋めておく」しかないわけです。
しかし、人から教わるのであれば、
体の動きや言動から教えている方が「この方、誤解しているな」とかを読み取ることができます。
つまり、早い段階で学習する側の「想像で仮埋め」してる部分を「適切な情報」に置き換えることができるのです。
こうして、全体として精度が上がる。
特に、入門して日が浅ければ浅いほど、その差は歴然です。
ある程度経験を積んでくると、情報の探し方がわかってくる。
なので、書き残されたものからでも十分な効率で情報を得ることができる場面が増えてきますが・・・
入門したばかりの時は、やはり人から教わる方が効率的なのは否めません。
では、だれでもいいから教わればいいのか?
ただし!
これ気にしない方が意外に多いんですが…
教える側と教わる側のマッチング。
特に日本で多く見られるケースで、「すごいプレイヤーに教わりたい」という願望。
すごいプレイヤーの中でも、天才型と言われる方には特に多く見られる傾向があります。
それは、彼らはほぼすべてのことを「感覚」で分かってしまう。
説明不要なんです。イメージしたらその通りにできてしまう。
なのでそういう方に「どうやってやるのか?」と聞くと、
「説明」というより、
その本人にしかわからない擬態語のかたまりが飛び出して来るだけ
聞いてる方にはまったく具体的なことが伝わってこない・・・
ということが往々にしてある。
こういう話をすると、「甘い、見て盗め」という意見が出てくるかもしれませんが、
いやいやいや。
見て盗むよりも効率よく上手くなりたいから、わざわざ時間を割き、お金を払って習いに来るわけですよ。
そういう人を相手に「見て盗め」というのは、「職務怠慢」ではございませんか。
とまあ、それはさておき。
入門者のうちほど、基礎を固めた方が良い時期ほど、
「天才型」より「努力して獲得した人」から教わった方が良いです。
なぜか?
「天才型」は「それがわからない人がいる」ということがわからないからです。
彼らにとっては出来ることが当たり前で、できない人が何につまづいているかを考えるなんてむしろ不得意。
おそらく関心もないはずです。
だって「天才」なんですから。
まあ、「おれはあの『天才』から教わってるのだ」いう、
「違う意味」での満足感が欲しいならそれも悪くはないですが・・・
そういう人はおそらくここまで読んでいないでしょうね。
他者から教わりたい理由が、
「見て盗む・個人で試行錯誤するよりははるかにスピーディに上手くなれるはずだ」
という期待にあるのだとしたら、
「天才プレーヤーに教わる」のはおすすめできる選択肢ではない、
というのが私の持論。
むかしから、「名選手が名監督とは限らない」という格言(?)もあるぐらいですから。
そりゃ、自身のプレイも指導・監督の力も兼ね備えた稀有な人材ももちろんいますが、「きわめて稀有」ですよ。
そういう奇跡のような人物に巡り合うまで上手くならないつもりですか?という話になっちゃう。
人生は有限なのです。
まあ、そういうのを見極める意味でも音楽教室の「体験レッスン」というのは行ってみた方が良いです。
そこで、ちゃんと話のキャッチボールができそうだな、とか、この人の言うことなら素直に聞けそうだなとか、そういうのを判断するのってとても重要です
所沢のメリット
私は、ある程度基礎ができてきたらどんどんアンサンブルに参加して経験を積んでほしいと思っています。
バンドでもいいし、できればセッションに参加できればなおいいです。
所沢はブルースセッション、ジャズセッション、歌ものやビートルズセッションなどのいくつものジャンルのセッションが、所沢駅・新所沢・小手指を中心にいくつもあるのです。
新所沢・小手指も所沢市内ですし、電車で所沢駅から2駅と大変便利である、というのもメリットですね。
レッスンした内容をそうしたところで実地で使ってみて身に着けてもらう。それが一番の上達の早道だと思っています。そういう意味で、所沢は有利なエリアの一つだと考えているのです。
たとえば、所沢市内でレッスンして、2つとなりの新所沢駅でセッションに参加、なんていうこともできるわけ。合理的でしょ?
さらに言うと、所沢って音楽に理解の深い街でもあるんですよね。
そういう系のイベントが多いことや、ミュージシャンにとって居心地がいい店が多いとか、そういう懐の深さもこの所沢という街にはあるんです。
数日以内に詳細を決めて個別ページを用意しますので、ご興味ある方はそちらを参照してください。
イメージ画像提供元:João Thiago Bustamante de AndradeによるPixabayからの画像
明神(あけがみ)です。
・・・この記事で思い当たることがあります。
特に「人から教わる方が効率的」というところですね。
某首都高速道路を舞台とした車の漫画にて言われていた事ですが・・・
「人は、聞く・見る・やる・・・ってな。
聞いたことは忘れるが、見たことは覚えてる。そしてやったことは分かっていく。」
私、この言葉に大賛成しているのです。
※前職のエンジニアだった頃、新人に言い聞かせていたぐらいですからw
この「聞く・見る・やる」にドラムレッスンを当てはめると・・・
「講師から話を”聞く”、実演を”見る”、そして実際に”やる”。」
効率的な事この上ありませんよね。
※しかも「その場で評価してもらえる」というオマケ付き。
データを精査し、情報として組み上げ、実行しつつ改良を加え、実際に知恵として残すのはそりゃまぁ重労働ですからね。
※おそらく白澤 さんが一番ご存じかと思われます・・・
ちょっと見方を変えてみますかw
それでは私の最早ライフワークと化している料理から。
和菓子の世界って実際にはとんでもない年月とすごい数の職人の知恵の宝庫であるのです。
例を挙げると・・・煉羊羹。
煉羊羹は製品レベルを量産できるなら羊羹専門店でやっていけるほど高難易度の一品です。
※和菓子の中でもトップレベルの難しさがあるといわれるほどです。
材料が少ない分、各種のさじ加減が超シビアです・・・やってみるとわかるんですがそうそう”うまく”は作れませんw
名店といわれる店の初代は何とか羊羹の形で売る事が出来る水準だったかもしれない。
しかし、2代目3代目と代が変わるうちに秘伝のレシピに知恵が積み重なって最早初代とは比べ物にならない程の水準に達しているんです。
当たり前ですよね。
プロが日々研究して得た一生モノの知恵が、代を重ねて何十年と積み重なっていくわけですから。
パッと出がちょこっとやったぐらいじゃ理解もできない、珠玉の宝物があるわけです。
そういう経験と知識の積み重ねから来る知恵を授けてもらえる機会って、ほんと貴重なんですよね。
・・・文章がそんなに煉れてもないかもしれませんがw
be good, be legal, tell truth.
明神(あけがみ)
明神さん
コメントありがとうございます。
> 材料が少ない分、各種のさじ加減が超シビアです・・・やってみるとわかるんですがそうそう”うまく”は作れませんw
はい!さすが明神氏。
これなんです、これ。
すべては「加減」。
「やるか・やらないか」の2択で考える癖(=思考癖はすで思考停止の始まり・・・)がつくとこうなりがちで、「さじ加減」などもっとも面倒なことに感じられるようになる。
しかし、大事なのはさじ加減なんですよ。
そしてその最適値は時と場合と相手によって異なる(のが当たり前)。
でも、エネルギー使います。
相手に関心持たなきゃいけないし、
伝わるような言葉・態度を選ばなきゃいけないし、
それでも伝わる保証なんてないし。
でも、だからこそ伝わったとき、めちゃくちゃうれしい。
「さじ加減」がそんなに面倒で、いやでいやでしょうがなくて、
一発満点だれにでも効く万能解が欲しいってなら、
まず音楽なんて止めちまえと言いたいところですが、
まあ、そうは言わなかったとしても「感動させたい」なんて100万年早い。
この組成で作ればすべての人が満足する配合、なんてあるわけないんだから。
明神氏には不要な話と思いますが、
いまだに「銀の弾丸を探してる人」が後を絶たないので吠えてみました(笑)。
> 名店といわれる店の初代は何とか羊羹の形で売る事が出来る水準だったかもしれない。
> しかし、2代目3代目と代が変わるうちに秘伝のレシピに知恵が積み重なって最早初代とは比べ物にならない程の水準に達しているんです。
> 当たり前ですよね。
> プロが日々研究して得た一生モノの知恵が、代を重ねて何十年と積み重なっていくわけですから。
> パッと出がちょこっとやったぐらいじゃ理解もできない、珠玉の宝物があるわけです。
ですです。
ちょっと、コメントしてたんですが1記事分のボリュームになりそうだったんで、次回の記事として書くことにしました。
きっかけ提供ありがとうございます♪